HISTORY
ジェリーカニンガムはアウトドア好きな家族の元で育ち、小さい頃から母のミシンを使って自分の納得できるハイキングやクライミング用品を作ることに没頭していました。
アウトドアアドベンチャーに行くたび、彼は何十個ものバックパックを試しましたが、それでも彼が納得できる商品には出会えませんでした。
1938年
いつも普通のバックパックに不満を抱いていたカニンガムは、2つのジッパーで仕切られ、軽量化されたバックパックをデザインしました。これによりクライミング中にも簡単にバックパックから必要なものを取り出せるようになりました。
これが世界最初のジッパー付きバックパックの誕生です!
1945年
その後カニンガムがアメリカ陸軍の第10山岳師団に従事している間、もっと機能性の高いバックパックが必要だと強く感じていました。
それが後押しとなり、第二次世界大戦後、カニンガムは万能で軽量な登山用品のデザインと製造するビジネスを始めました。
それからナショナルスキーパトロールマガジンにコラムを連載するようになり、その間カニンガム夫妻はバックパックを製造していました。
そのマガジンや関係する登山クラブの顧客リストを手に入れたカニンガムは,ついにG E R R Yブランドとしてメールオーダービジネスを始めました!
カニンガムはカラビナの金具部分の弱さを改良するため、鉄を自ら加工しました。
彼の三角形スタイルのカラビナは今ではキーチェーンとして世界で広く愛用されています。
カニンガムは樽型にバネの入ったドローストリングクランプを発明しました。
これにより、紐で縛らなくても簡単にバックパックを開け閉めすることができるようになりました。
今では誰もが使用しているコードロックの発明も、カニングハムのアウトドアマーケットでの大きな功績です。その後特許を取得し、今ではアウター、キャンプ用品にも広く活用されています。
G E R R Yのヒマヤランテントは、歴史上最も有名な登山家エドモンドヒラリーとテンジンノルゲイ率いるチームのエヴェレスト登頂に使用されました。
G E R R Yのスタッフは一日中ベットルームでテントを縫い、エベレストチームが出発する1日前にやっと出来上がったのです。
メールオーダービジネスの成功により、カニンガムのホームタウンコロラドのボルダーに初めての路面店をオープンしました。ブランドが成長するにつれ、その後全米各地に展開しました。
スキーに行きたかった夫妻は子供を一緒に連れて行くためにベビーキャリアを発明しました。1963年にはベビーキャリアの特許を取得し、G E R R Yの主力商品の一つとなり、40年以上愛され続けました。
G E R R Yはアメリカ空軍から極寒にも耐えることのできるサバイバルスーツの開発を依頼されました。サバイバルスーツはダウングローブ、ダウンジャケット、ダウンパンツ、それから寝袋にもなるダウンバッグからなり、それら全てがたった2パウンド のコーヒー缶の中に収まりました。サバイバルスーツはグースダウンを使用していたので、マイナス45度にも耐えることができました。
G E R R Yはスキーとダウンジャケットのフルラインを作りました。G E R R Yのダウンセーターは初めてのライトダウンジャケットの一つでした。今も人気のあるキルトダウンジャケットのインスピレーションとなりました。
G E R R Yはアウター、テント、寝袋、パンツやその他のアウトドア用品、それから極寒の時のための真空パックされた歩き回ることのできる寝袋にもなるアウターなどを提供しましたが、G E R R Yのとても軽く量の低い道具はチームの成功にとって重要な役割を果たしました。
G E R R Yのスキー用品とダウンジャケットはオーストリアのインスブルクで行われた冬季オリンピックでアメリカオリンピック委員会により使用されました。
全てのオリンピックに参加したアメリカ人はG E R R Yのスロープコートを着用し、その様子はテレビで放映されました。これによりG E R R Yはスキーウエアブランドとして、アメリカで広く認識されるようになりました。
G E R R Yのティアドロップ型のバックパックは初めてのナイロン製のパックパックでした。そして1968年、カニングハムが30年以上も目指してきた重さが均等にかかるバックパックを完成させました。重さが均等に分配されることにより、背中にかかる重圧がなくなるのです。